駅に住んでいるネズミ。
最近とあるマンガの最終話が話題になったな。何とは言わないけど凄かったと思う。
実をいうと、映画を観たり最新話を追うなど。ミラゲも自分なりにその作品を楽しんでいた。
しかし、熱狂していたわけではないのでSNSにいた人達みたいに怒り心頭に発することはなかった。
まぁまぁかな。
記事のタイトルにもあるように、今回はそのマンガで登場したイソップ童話について語ろうか。
幸せの正解は人の数だけあるとは良く言ったものだ、同じネズミなのに方や田舎でのびのびと質素の暮らしの一方、方や都会で贅沢をしながら危険におびえる日々を送るネズミたち。
しかし、どちらの方がいいだなんてそれぞれの幸せの定義によるものじゃないか?
だって都会の豪華の食事はニンゲンの食べ残しだし、田舎も災害や他の動物がいないわけではない……因みにミラゲは自分の暮らしに疑問や不満を覚えたことはない、貧乏舌だからね。それに住めば都ってよく言うだろう?
実をいうと、この童話を思い出した理由は某有名マンガが起因している訳ではないんだ。
先週、帰宅時にネズミを駅で発見した。勿論ちゃんと生きているネズミだ。
そいつは「チューチュー」と鳴きながらゴミ箱の影で暴れていたが、自分が近づくと怖気付いたのか壁の後ろへと逃げ込んでしまった。
それでミラゲはゴミ箱の中身について気になり、暗闇を覗きこんだが目ぼしい物は特になく、あるのは飴の包み紙や空き缶だけ。つまらん。
まぁ、それもそうか。だってこの駅とてもこじんまりしているのだからな。
人は見ないし、近くにコンビニは開いていない。それどころか、彩り豊かな木の実すら生えていない。あるのはベンチとゴミ箱だけ。壁や屋根は乾いてるが転々と黒いシミがチラチラと見える。
それで自分は疑問に思ったんだ。
この駅に住んでいるネズミは田舎、それとも都会のネズミなのか?
都会のいい点は豪華な食事。そして、田舎では平凡な暮らしを過ごせる事。
だがミラゲが見たネズミは何もないゴミ箱を漁り、人から逃げ隠れする始末。両方の暮らしの欠点を持ち合わせてしまっている。
そいつはこの暮らしを進んで選んだのだろうか、それとも同朋に追いやられてしまったのだろうか。この生活に満足できているのか少々気になってしまった。
ネズミだから何も考えていないかもしれないが、選択をする為には脳って必要だ。
一応、ネズミにも小さな脳があってそれを使い人と同じように活動をするし、気分とか感情もその脳が決めちゃっているのだと思う。

もし、駅で見かけたネズミが自分の生き方に後悔していたら、その感情に気付けるのだろうか。気付けたとして、その感情は人と同じくらい大きいのでしょうか。やっぱり、自身の脳のサイズと比例しているのか?
それとも目の前の出来事に必死すぎて、まだわかっていない?または、自分の見えない素晴らしい物がこの駅にあったのかも。
だとしたら、やっぱり幸せって心地良い住処を見つける事なのかも。そいつはとてもすばしっこかったのでミラゲの目はちゃんと身体の輪郭を捉えられなかったけど、結構ブクブクと太っていたような気がする。強いな。
